夫婦善哉…人生善哉?

 最近、これまでの体験談をまとめた本を書いていることもあって、いろいろな人と昔話をする。ミヤコ蝶々さんの話になった。
それは、一時、タクシードライバーをしていた時だから、昭和50年(1975年)ごろだ。大阪・ミナミの法善寺から、箕面の自宅まで蝶々さんを送った。蝶々さんが次に出す本の内容を語り、マネージャー氏が書き取っている様子だった。1時間足らずで家に着いた、ついに話し掛けることはなかった。

 蝶々さんの相棒だった南都雄二さんは、その時、この世になかった。昭和48年(1973年)に48歳の若さで亡くなっていた。


ミヤコ蝶々さんと南都雄二さん

 蝶々さんと雄さんは、夫婦漫才だった。二人が司会する「夫婦善哉」は視聴者参加型のトーク番組の草分けで、昭和30年(1955年)にラジオで始まり、テレビに引き継がれ昭和50年(1975年)まで続いた。二人は昭和33年(1958年)に離婚するが、コンビは南都雄二さんが亡くなるまで続いた。学校に行っていない蝶々さんが、台本を見せて「これ、なんという字ぃ?」と聞いていたことから、「南都雄二」という芸名が生まれたというのは有名なエピソードだ。

 その雄さんにも1度だけ出会った。

 昭和45年(1970年)にテレビ時代劇「素浪人花山大吉」に出演した時のことだ。剣豪・花山大吉(近衛十四郎)と渡世人・焼津の半次(品川隆二)がコンビで旅をしながら悪をやっつけるという設定だった。おからが好きで、ネコが嫌いな花山大吉とクモが大嫌いという焼津の半次が軽妙な演技を繰り広げて人気を集めた。

 当時、同時録音の技術はなく、ロケ撮影の場合はセリフは後から録音室で、映像に合わせて吹き込む。アフレコだ。

 私は、茶店の客で、茶店の奥のオヤジに何か話し掛けるのだが、バタバタとしたロケ現場で、相手の役者が誰か全く分からず、気づかないまま終わった。
 アフレコの日、録音室へ行くと、部屋の前の廊下の長椅子(いす)に、ぽつ然と、ひとりの老人が腰掛けていた。茶店のオヤジだ。

 「おはようござます」
 といって、私はその人の隣に腰掛けた。長い沈黙の後、その人が
 「えらい長いこと待たしよりまんな」
 といってこちらを見てニッコリと笑った。なんと‥‥‥南都雄二さんであった。そしてまた、長い静かな時間が過ぎた。

 ――げっそりやせて…一体、どうしはったんやろう?
 声をかけそびれていると、しばらくして、彼は、ひとり言のように喋(しゃべ)り始めた。

 彼「この仕事好きでッか?」
 私「ハイ」
 彼「これで食べてはんの?」
 私「ハイ、かつかつですけど‥‥‥」


コンビの舞台

 彼「かつかつ‥‥よろしいな、若い時に余分な金持つと、ろくなことありまへんで。今思うたら、蝶やんとボロアパートの二階でラーメンすすりながら、(蝶やんに)ボロカスに叱(しか)られながら、漫才の稽古(けいこ)してたときが一番良かったかな……せやけど漫才は、いっこも好きになれんかった。ただ早よ売れて、うまいもん食べたかっただけや。それが「夫婦善哉」で当たって、毎週毎週どんどん金は入ってくるは、行くとこ行くとこ山海の珍味、ご馳走だらけ‥‥三月もせんうちに見るのも嫌になって、そのうちにおばはん(蝶々さん)の顔見るのも嫌になって、他の女に手だして‥‥‥、あほなことしてしもた。女はワシの金だけが目当てやったんや。結婚して、店一軒もたしたったらいっぺんに態度変えやがって、『別れてください』や、これは笑うたよ。その時は美味(うま)いもんの食い過ぎと、酒の飲みすぎで糖尿は出とるは、肝臓はぼろぼろやは、男としては使いもんになりまへんわな。見てみなはれこの手、明日死んでもおかしない手でッせ」

 ここまで喋ると「えらいすんまへん、しょうむないこと聞いてもろて」

 そうして、独り言のように
 「…好きなことか…好きなことがあるっちゅのは、よろしいな、うらやましいわ。大事にしなはれや。ワシなんか好きなもんなんか何にもなかったし、これからもないやろナ、こんな役者の拾い仕事も、うんざりですわ」

 そのとき「雄さん、徳田さんお待たせしました」

 雄二さんは私の顔を見て、ニコッと笑って、見違えるような明るい顔でアフレコルームに消えた。

 この廊下での雄さんのひとり語りが、最初は元気なく、段々熱をおびてとうとうと、最後は静かに、遠くを見詰めるように‥…見事であった。

私はこの後、役者をやめて、タクシードライバーになり、蝶々さんを乗せた訳だ。
そして、交通事故に遭い、寝返りすらできない寝たきりとなった。このまま死んでいくのかと思うと、不安で、涙が溢(あふ)れてきて、眠れない夜が何日もつづき、そしていつしか、死に土産に好きな芝居を書いてやろうと思った。

 そして出来たのが『贋作(がんさく)タクシードライバー』である。

 その中で、ドライバーのひとり語りは、雄二さんからいただいた気がしてならない。初対面の雄二さんが、何故、私に、あんなに、モノに憑(つ)かれたように、一生懸命話をしてくれたのだろうか…?
そして、蝶々さんの口述筆記の一人語りも聞いた。
この縁…、不思議でならないのである。


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