おおらか?生真面目? ―役者の素顔―

  昭和40年代半ば、私は怪優に出会った。NHK大阪放送局であった。
 その名は上田吉二郎。
 上田氏は、時代劇や任侠もので、必ずといっていいほど「悪役」をしてきた人だ。でっぷりとした体躯(たいく)に、不敵な面構え。1カット写っただけで「ワルモノ」という雰囲気を漂わせる。クライマックス近く、主人公の「正義の味方」が敵役の本拠に乗り込み、悪の巨魁(きょかい)=上田氏の役柄=を追い詰める。

すると、上田氏が、周囲の手下を見回して叫ぶ。

「オメエタチ!構ウコトハネエ、タタキ切レ!」

 このセリフは上田氏の定番だった。で、必ず上田氏が「タタキ切ラレル」のだが、映画館の暗闇に響く「ヤッチマエ」の独特の口跡と存在感に圧倒されるものがあった。


上田吉二郎氏

 ところで、その番組では、私が医者役で、彼は入院患者であった。

 本読みの日は、相手役の事なんか全く無視して、台本に首を突っ込んだまま、口の中でぼそぼそとつぶやいて帰っていった。次の日、朝10時入り、11時リハーサル開始であった。10時キッチリに、赤鬼のような顔をして、控え室に現れた。

 焼肉?にんにく?酒?脂粉?…散財と享楽の香りをぷんぷんさせて、私の前のソファに倒れ込んだ。

 「ガハハハ、大阪はオモロイ!一晩中寝かしよれへん、ガハハハ‥‥‥」

 言ったかと思うとゴーゴーといびきをかいて寝てしまった。

 リハーサルが始まった。
 カメラは私の肩をなめて、彼のバストアップである。

 当然私の目を見て喋(しゃべ)るのだが、彼の目線がどうも私の顔を外れて右に行ったり左に行ったりしている。そのうちに右手が顔の前に出てきたと思うと、右の耳を触ったり左の頬(ほお)を叩いたり、そのうちにセリフをトチリだして、辛抱しきれず、

 「もうちょっと右や‥‥」

 スタッフー同、ドーツとふいた。私が振り返ると、カメラの後ろで、マネージャーが大きな模造紙に、マジックで書かれたセリフを広げていた。

 リハーサルが終わって、控え室で自慢げに彼は言った。

 「セリフなんて覚えるもんやないんですわ。ついこの前も、墓場の前にしゃがんで言うセリフがあって、キャメラに写らんように発泡スチロールの墓石にセリフを書いて‥‥・それを見ながら喋ってリハーサルが終わってな、本番が始まって、墓の前にしゃがみこんだら、セリフが書いてないねん、ほんでワシ慌てて立ち上がって、『きょう日の子供はショウモナイ悪戯(いたずら)しやがるからかなんな』云(い)いながら、墓石を持ち上げて半回転したってン、ガハハハハ」

…構ウコトハネエ…。

 まあ、昔の俳優は、おおらかと言えば、おおらかだったのだろう。


 いつの頃であったか、『大岡越前』にレギュラーで片岡千恵蔵御大が出ておられた頃、大友柳太朗氏が出演された。


大友柳太朗氏

 セットに入ってくるなり、一生懸命セリフを繰り返しておられた。そして出番がきた。ほんの一行のセリフだが、何度やっても真ん中辺りでつっかえる。

 そこで、「とにかく本番やってみましょう」ということになり、無事、なんとかOKがでた。
 そうしたら氏は、みんなに「どうだった?、どうだった?」と聞いてまわるのだ。

 最初はエキストラの若い人たちに、次は脇役の私らに「結構でしたよ」といっても落ち着かない。

 そうして最後は、千恵蔵御大に、「先輩、如何(いかが)でしたでしょうか?」

 千恵蔵御大「監督がOK出したんだから良いに決まってるじゃねえか、そんなことをいちいち若い者に聞いてまわるなよ、みんな困ってるじゃねえか」

 すると、彼はまたみんなに、今にも飛び出しそうな、まん丸な目を、いっぱいに見開き、にっこり笑って、「ごめんね、ごめんね」とあやまりにまわるのである。

セットの中は笑いの渦に巻き込まれていた。

 大友氏と言えば、「丹下左膳」「右門捕り物帖」などに主演、押しも押されもせぬスターだ。それほどの大物が「ごめんね、ごめんね」と、恐縮している。

   新国劇の辰巳柳太郎氏に師事し、映画に主演した時に師の名前をもらい「大友柳太郎」となったが、第二次大戦後、主役の座からはずされると、「師に申し訳ない」と芸名を柳太朗と改めたという逸話がある。

 まさに、真面目を絵に描いたような人だった。


(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.