本物

 『ほんまもん』の放送もそろそろ終わろうとしている。そして、画面に映る自分の顔を見るたびに思い出されて仕方がない役者がいる。
志村喬氏である。
黒沢明監督の数々の名作に出演し、渋い演技で戦後の日本人の心をとらえた名優だ。

志村喬氏
 『酔いどれ天使』で、演じた酔っ払いの医者――終戦後闇市(やみいち)の片隅に、メチルアルコールをラッパ飲みして、やってくる結核を患ったヤクザ者(三船敏郎)をどやしつける町医者だ。髭(ひげ)もじゃでアルコール依存症で、怒りっぽい、それでいて心優しい医者。

 『七人の侍』では凛(りん)とした武士だった――野武士の強盗団に襲われる百姓の村を救うため、気概のある連中を選りすぐり、静かな、しかし気迫のあふれるリーダーシップを発揮した。クライマックスは土砂降りの雨の中、人馬入り乱れての壮絶な立ち回り。映画史上に輝く名場面だ。

 『生きる』ではうだつのあがらない役所の課長役――定年間際に、体調を崩し、自分がガンと気づいたよぼよぼのうだつの上がらない役人が、「生きること」の意味を求めて、小さな公園を建設することに熱意を燃やす。自ら、駆けずり回ってようやく完成した公園で雪の夜にブランコに乗って『ゴンドラの歌』を歌いながら死んでいく。

 思い出すだけで胸がいっぱいになる。

 その志村氏と『水戸黄門』でご一緒したのは私が30半ばの頃である。

 黄門さんは東野英治郎氏であった。志村氏は高名な刀鍛冶(かじ)の役で私はその弟子の役だった。師弟2人だけの住まいで、私が師匠の身の回り一切から、食事から、ふいご押しまで任された愛弟子という設定だ。

「七人の侍」の撮影風景
 セットで初めてお会いした時、私の目を見て軽くニコッとなさった。私は黙って頭を下げた。

 役者が先輩にお目にかかっていうべき最初の言葉「オハヨウございます」が、出てこない。

 七人の侍のリーダー「勘兵衛」と向き合っているような、酔いどれ医者「真田」にしかられているヤクザ「松永」になったような…そういう迫力と優しさに包まれて、一言も口から出てこなかったのだ。

 志村氏は、本物の刀鍛冶の人が来られいろいろ説明されるのをじっと見て、静かに座っているだけである。監督も志村氏の顔をじっと見ているが何の注文もしない。
 黄門役の東野氏は、対照的にこれがまた賑(にぎ)やかなこと。
 志村氏の顔を見るなり「イヤーこれはこれはどうもどうもお久しぶりで・・・・・・」
 志村氏は静かに一言「どうも」だけであった。
 芝居のセリフも黄門様が喋(しゃべ)りまくり、孤高な刀鍛冶は沈黙を守るのみで、「カット!」の声がかかると、セットの縁側に出て静かに庭を眺めておられた。

 その夜は私は家に帰っても眠れなかった。

 「生きる」の渡辺課長が最後に歌う「ゴンドラの唄」が静かに頭の中に流れる…。

 いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
 朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
 熱き血潮の 冷えぬ間に
 明日と月日は ないものを

 私は2日間、志村氏とご一緒しただけで、しかも一言も話さなかった。だが、こんなに幸せな瞬間はなかった。静かで、暖かで、厳しい本物の役者を見たような気がした。

 私もこの年になって、少しでも人の心に残る役者を心がけなければ、役者になった意味がないように思う。

 画面に映る自分の顔を見るたびに問い掛ける。

「オイ、徳田よ!お前に志村さんの存在感に及ぶものがあるか…」


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