◆鴻池薫プロフィール◆
1956年8月10日東京生まれ。
14歳の時に初めてフォーク・ギターを手にする。60年代〜70年代フォークミュージック、ビートルズに影響を受ける。
高校時代はエレクトリック・ギター主体のブリテイッシュ・ロックに強い影響を受ける。
18才の時にジャズ・ギタリストの高橋信博に師事。氏のポリシーに大いに共感、音楽に対する心構え、練習方、ギターそのもものとらえ方を学ぶ。
学習院大学在学中にプロとして活動開始。ソウル系ハウス・バンドで都内のデイスコ・クラブに出演。
1980年
ルーマーズの金森隆とフュージョン・バンド「ミストラーダ」結成
六本木ピットインをベースにライブ活動を精力的に展開。
81年から87年にかけて、五輪真弓、桃井かおり,倉橋ルイ子 等 多数のアーティストのバック・アップでコンサート、テレビ出演、スタジオワークを経る。
84年にクラシック・ギターの杉原俊範に師事。原点に返り、ギターを基礎 から見つめ直す。(現在も定期的にレッスンを受けて、コンデイションを整 えている。)
88年
ワールドミュージック路線でソロ活動開始。邦楽や異ジャンルの演奏家と交流する。アフリカの世界的ウード奏者ハムザ・エル・デイ―ンと89年初共演する。ギターと尺八(三塚幸彦)のデユオ「エスカレイ」結成。
91年
大輪好男(uk)&アグネス木村のグループに参加し、初めてハワイアンと出会う。スラック・キー・ギターの素晴らしさを知り、インスパイヤされる。
ギターの理想郷と確信する。
同年8月ハワイ・オアフ島スラック・キー・ギター・フェスティバルに大輪バンドで出演。
92年
難病潰瘍性大腸炎を患い演奏活動休止。厳しい闘病生活を余儀なくされるが、大阪八尾の甲田光雄医師の革新的食事療法で奇跡的に治癒する。
93年
演奏活動復帰。・
94年
初のソロ・ギターによるオリジナル・アルバム「スピリチュアル・オーシャン」をキングレコードより発表。
超絶技巧と独特のロマンティシズムが各音楽誌の絶賛を受けた。
95年
難病を克服し、感謝の意味を込めて「頑張れ!難病と闘う人々ハワイアン・チャリテイ・コンサート」を東京青山円形劇場で第一回目を開催。毎年行う恒例行事となり、大阪甲田医院に寄付している。
同年、白石信とナレオ・ハワイアンズに初参加。
96年
同グループのレコーディングした「花のビギン」 「貴婦人とギャルソン」 にギタリスト兼アレンジャーとして参加する。白石信とのジョイントは世代を超越した共感の音楽を生み出す。
99年
6月マウイ島で行われたスラック・キー・ギター・フェステイバルに佐藤真砂美と参加。日本人として初参加で好評を得る。
同年11月スラック・キーの名手ケオラ・ビーマーを招聘し、東京を中心にジョイントコンサートを行う。ギター・デュオは極上のものとして、注目される。
2000年
ソロ活動に力を入れる。
8月ケオラ・ビーマーと鎌倉芸術館でコンサート。
待望のハワイアン・ソロ・CD「カイノア〜きらめく海を見つめて」
をキング・レコードより発売。
11月22日ホノルルNBCアリーナで行われた
「HAWAII MUSIC AWARDS 2000」にCD「Kainoa」をノミネートし出演、インターナショナル・ハワイアン・アルバム賞部門で受賞。
2001年
2月、2000年5月鹿嶋で行ったチャリテイ・コンサートに対して
鹿嶋市社会福祉協議会から感謝状を授与される。
3月から全国縦断ライブ敢行。
国内外の民族音楽にも共感、 純粋な人間性と豊かな才能を持ち合わせる自然派ギタリスト。
現在、 ハワイアンの中で、持ち味の「癒し」のギター・スタイルを確立し、ソロ活動を中心に幅広く活動している。
日本ハワイアン界で誰もが認知する押しも押されぬトップ・プロ・ギタリスト。
※鴻池薫に関しての詳しい情報は
http://www.kohnoike.jp/
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