菊地凡平モノローグドラマ
フランツ・カフカ原作

アカデミーへの報告書

親愛なるアカデミー会員の皆様
私が猿であった時代の生活についてご報告申し上げます・・・


●解説

フランツ・カフカの短編集、「アカデミーへのある報告書」をもとに、モノローグドラマとして脚色、構成をしたおよそ一時間の作品です。

人間の言葉と知識を拾得した一頭の猿は、アカデミー会員を前に、ゆっくりと語り始める。
アカデミー会員の皆様
私がかつて猿であった時代の生活についてご報告申し上げます

彼は、アフリカで、ハーゲンベック商会という狩猟探検隊に捕らわれ、船の中甲板に置かれた檻に閉じ込められる。彼はもとの「自由」な生活に戻ろうと必死になって「出口」を探し、逃げ出そうともがき苦しむ。が、次第にそれが無駄な努力であることを知る。彼が抱いていた「自由」はもはや望みを絶たれてしまった。
ある時、一人の船員が彼に人間の言葉を教え込もうとする。彼は考えた、ここから出るためにはどうしても「出口」を見つけなければならない。そうだ、その「出口」とは人間と同じようになって、人間の仲間入りをすることこそ、今の自分にとっての「出口」なのだ、と考えるようになる。
そして彼は、人間と同じようになるためにあらゆる努力を続ける。
ある日、船の中でパーティーがあり、自分の檻の前に、偶然、置きっ放しになっていた酒の瓶を、人が見ていない隙に掴み取り、丸ごと一本のみ干してしまう。そして酔いも手伝って彼はついに人間の言葉を発してしまう。
やがて、船がハンブルグの港に到着した時、彼の前に二つの道が用意されていた。一つは動物園、もう一つは演芸場だった。
彼は自分に言い聞かせた、『演芸場を目指して全力を振り絞れ、それこそが「出口」だ、動物園は新しい檻にすぎない』
こうして彼は、自分の身をムチの監視のもとに置き、自分の中から猿の本性をたたき出すことに成功する。
そして、今や文明世界の全ての一流演芸場において、芸人として活躍する事になる。
しかし、彼は言う。

私が人間の真似をしたのは
人間に特別な魅力を感じたわけではないのです。
私が今まで生きてきた「自由」と
人間が考えている「自由」とは全く違うんです。
ですから私は「自由」を求めてはおりません。
私はただ「出口」が欲しかっただけです。
ただそれだけの事です。

菊地 凡平(きくち ぼんぺい)プロフィール <本名>

1971年 68/71黒色テント(現劇団黒テント)入団。
佐藤信、作、演出「昭和三部作」はじめ、全ての作品に出演。
1980年退団。
1981年から1986年まで児童劇団の演出に携わる。
1987年フランツ・カフカ原作「アカデミーへの報告書」をモノローグドラマとして脚色、演出し、初演する。
その後、同作品を、渋谷ジァン・ジァン「夜の十時劇場」、下北沢OFF OFF劇場、下北沢演劇祭等で上演する。
その間、古巣の劇団黒テント、新宿コマ劇場、新橋演舞場、梅田コマ劇場、等に出演。
2000年、脚本家で演出家の高平哲郎等と「平成アチャラカ座」を旗揚げする。
2004年1月下北沢本多劇場に於いて「平成アチャラカ座」公演、高平哲郎、作、演出、「オバラ座の怪人二十面相」に出演。