川 本 栄 昇

Eisho Kawamoto

大島郡伊仙町(徳之島)出身
現住所:鹿児島市内


徳之島・伊仙町で育った川本栄昇(69)は、19歳で島を出た。「島は電気も車も何もない。貧しさも味わった。都会の生活は夢だった」。本土復帰前の1949年、15歳で家出。そのときは密航に失敗したが、復帰直後に再び乗船。大阪にたどり着く。
 縫製工場などに十数年勤めたが、「朝鮮人や奄美出身者への差別がひどかった」。何もなかったが、唄が身近にあった島を思う。友人から名唄者・武下和平のレコードを借りる。差別を恐れ、プレーヤーを抱き布団に潜り込む。
 65年、奄美出身者が多く、妻の両親も住む鹿児島市三和町に移る。「大阪の方が金もうけはできた。けれどたまに鹿児島に来たとき、せかせかしない暮らしを見て。いいなと。島にも近づきたかった」
 大島紬関係の仕事に就く。80年ごろ近所で、武下和平のコンサートがあった。女性のような高音、迫力あるバチさばき。しびれた。知人を頼り唄と三線の同好会に入り、夢中になった。
 93年には、島唄のカセットを発表。30年以上、離れていた島にも、唄が縁で帰る機会が増えた。自宅には同郷の教え子も通う。「島の若者はもう方言ができなくなった。島の外から昔ながらの味のある島唄を守っていきたい」