1パーセントの真実と99パーセントのウソ

 若い時に見たフランス映画「勝負師」。田舎の家庭教師が、雇い主の家族と一緒にでかけた賭博場で、足元に転がってきた今コインをルーレットのテーブルに置く。すると、それがどんどんと増えて…。主演の美青年ジェラール・フィリップが不敵な笑いを浮かべるラストが忘れられない。
映画をみた後、ドストエフスキーの原作「賭博者」を一気に読んだ。

我が「劇団スタジオ鏡」の第86回公演作品「2002年賭博者」はこうだ。

BGM:アート・ブレーキーのJAZZ「MOANIN’」
中年の夫婦が無言の食事をしている。電話がかかり男が出る。
「ハイ、ニコニコ薬局です。ハイ、ああ、ハイ。8レース1−8が30枚、…10レースは2-2、50枚?それ、無茶やで…」

薬局のかたわら、競馬のノミ屋をやる主人公が、やがて破綻して…。「勝負師」のストーリーとは全く逆に展開する。

「2002年賭博者」から・I
平成3年に話は飛ぶ。
ちょうどゴルフに凝りだした頃だ。稽古(けいこ)場に電話がかかってきた。
 「もしもし、ミーちゃん?こちらキーちゃん‥‥‥忘れた?」
 「????」
 「おれ、おれ。キーちゃん」
 「もしかして、小学校の?」
 「そう!」
 「どないしてんのん?えらい久しぶりやな」
 「ワシ、今、横堀で麻雀屋やってんねん、中学の同窓生のSさん。うちのお客さんやねん。あんたの名前が出てきてなあ、出てけえへん?」
早速出かけていった。昔そのままの顔が二つ並んでいた。

S君は相変わらず背が高く、色白で…そう、ジェラール・フィリップそっくりだ。

国立大学の薬学部を出て薬局を経営している薬剤師であった。S君の寡黙は中学のときからで、われわれ二人の喋(しゃべ)りをニコニコ見ているだけだった。
そこでゴルフに行こうということになって、中学時代の友人0君を誘って出かけたのである。

S君は、その日は風の計算が狂ったり、フライヤーになってグリーンをオーバーしてロストボールしたり、悪戦苦闘であった。それでも最後まで、ニコニコと回っていた。
0君は抜群の飛距離と小技が冴(さ)え秀逸なゴルフ。
キーちゃんは世の泥にまみれてふにゃふにゃの顔になんともいえない愛嬌(あいきょう)を表情を浮かべ、…ゴルフもなぜかふにゃふにゃだった。
我々は、再会を約して別れた。
が、2か月ほどして、キーちゃんから電話が入った。

「2002年賭博者」から・II
「S君がおらんようになってん」
「え〜!なんでやぁ」
「ムニャムニャ…なんや」
「え〜?」
「…×∞÷§♂※±〆〒♀…なんや」
「わからんがな…」
「ううう」
「おい、どないした〜」

 とりあえず0君に連絡してS君の薬局へ行ってみた。前にトラックが止まっていて荷物を運び出していた。店の中からヤクザそのものの顔をした男が

「お前ら借金取りか!」
「い、いえ、こちらにおられたSさん、どこにいかはりましたん?」
「そんなもん知るけ、邪魔やどけ」
「あ〜こわぁ〜」

次は、キーちゃんの家だ。キーちゃんは奥の部屋で寝込んでいた。
「に、に、にせんまん」
「なんやてぇ?」
「かぶった」
「????」

「薬局の先生な、ノミ屋をしとってん…うちのお客さんもな、だいぶ賭けてたんや、先生な、だいぶノンどった(使い込んでいた)みたいや。当たったときは、借金して払い戻ししてたんや。野球のトトカルチョまで手ぇだして・・・・・・首が回らんようになって…。うちのお客さんがな、ワシに金返せ言うてなぁ、2千万ほどなぁ…ワ、ワシな、店の権利売ってな‥‥ううううう」

脚本は、もう10年近く前に出来上がっていたが、劇団の主演俳優の稲健二が役にふさわしい年齢になるのを待っていた。…ジェラール・フィリップという訳には行かないけれど、ニコニコとしている心底が読めない男を演じられる役者になるのを待っていた。

それにしても、S君。あのゴルフの時、既に絶望的な状態に追い込まれていたはずだ。あのニコニコはどこから出てきたのだろう。
そんな事を思いながら、最後の舞台稽古を進めている今日この頃である。

(「劇団スタジオ鏡」第86回公演作品「2002年賭博者」2002年4月12〜14日 大阪・千日前 トリイホール)


 
ジェラール・フィリップ

戦後のフランス映画に、類まれな容姿と卓抜した演技で一世風靡した名優。全世界を魅了したスターとして活躍したが、1959年11月、パリで36年の生涯を閉じた。
主演作品には「白痴」、「肉体の悪魔」、「赤と黒」などがある。
「勝負師」は、1958年にパリで公開され、日本公開は1963。





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