キャメラ・アイの魅力???

 私はこの20年間、わが劇団の舞台写真のシャッターを何百回、いや何千回押し続けてきた。確かにいろんなシーンを撮ってきた、そして、このコラムを書くために、カメラを持ち外の景色も撮り始め、色々なことに気づき始めた。

太秦広隆寺の見事な紅葉

 今まで、いろんなものを見て、目の奥に、心の底にとどめてきたことは山ほどあった。だが、そのインプットしたはずの風景を、いざ言葉にしようとするとどんなに時間のかかることか。まぶたに浮かぶ風景をどうしても言葉に出来ない。それは苦痛でさえある。

 では写真なら、うまく伝わるだろうか…。
 昨年の10月、初めてNHKの15階の食堂に入って河内平野を眺めた瞬間、感動のあまり、いろんなことが頭を駆け巡った。
 秀吉が目の前に浮かび、そして大阪夏の陣、冬の陣の合戦がほうふつとした。時代は飛んで、後醍醐天皇の窮地を救うべく、千早城から馳(は)せ参ずる楠木正成親子、また、お染久松がデートを重ねたであろう野崎の観音様…。

私の脳裏には回り舞台のように次々と情景が沸きあがった。

 「ここだ、このアングルだ」
 食事するのも忘れ、私はただただ感動しながら何度もシャッターを切った。

 だが、その感動は充分に印画紙には現れなかった。画面は何故(なぜ)か霞(かす)みがかかったようにぼやけ、合戦の大音声も、野崎参りの水面の音も幻として消え、あの目の前に広がっていた風景とは程遠いものであった。

それでも、やはりシャッターの音は私の心を和ませる。

 三十数年通い続けている東映京都撮影所の直(す)ぐ側に太秦広隆寺がある。撮影所への行き帰り、そのお寺の境内を通って行くのである。
 春夏秋冬、何百回通ったことであろうか。その都度、何らかの感慨に浸りながら歩いてきた。だがこの初冬、その庭園で、なんともいえない紅葉と竹林に出会ったのである。慌ててファインダーを覗き、その景色を切り取って確かめてみた。素晴らしい被写体であった。

竹林――うまく風景を切り取れただろうか

 最近は道行く時、視力が弱っているせいもあるが、よほど変わった景色にでも出会わない限り外に気を配ることがなかった。それがカメラをぶら下げると、旅する人の目になり、街を散策するようになってしまった。

幼い子供が泣きながら母親に引きずられ通り過ぎる。
おっちゃんたちが、黒門市場で早終いした魚屋の前で縁台将棋をしている。
障害者の人が横断歩道を渡っている。−−ああ、私も自分が広い道路を横断の途中で動けなくなる夢をよく見るなぁ−−どうか、気をつけて…。

そんな場面に出会う度、立ち止まり、動けなくなり、引き込まれ、目が離せなくなるのだ。そしてシャッターを切る。今は、何よりも市場へ行くのが楽しい‥‥、

 思えば学生時代、チラッと文芸雑誌で見た1枚の写真。年老いたよぼよぼの永井荷風がドテラを着て買物篭(かご)を下げ八百屋の前でたたずんでいた。
この1枚の写真とともにいろんなエピソードが語られていた。浅草のストリップ劇場に入り浸り、こよなく女性を愛した荷風ではあるが、「隠者生活」とも言われ、散らかし放題だったという自宅には一切女を寄せ付けなかったようである。
その写真に写っていた「寒々とした、孤独な市井の老人」にその隠者の姿を見たような気がした。

舞台が暗転する前の一瞬のスポットライトに浮かぶ主役の輝きのようなものか。
私も、四十数年たっても忘れられない、そんな写真を撮ってみたいものである。


(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.