INTUITIVE DANCE 篠井世津子の世界
|
||||||||
|
|
||||||||
2007年9月15日(土)・16日(日)
※開場は開演の30分前 会場◆中野 テルプシコール チケット料金◆前売 2,500円/当日 3,000円 お問合せ 篠井世津子ジャズダンススタジオ STAFF 菊地 廣/高橋健彦/吉田了介 |
||||||||
|
《篠井世津子プロフィール》 1947年生まれ。 |
「タバコ、やめようと思うけどやめられないわ」 1メートルも離れない彼女との間には500mlのビールの缶が4つと、それが注がれたティーカップ2つ、愛用の錆びた黒い缶の灰皿が稽古場の木の床に無造作に置かれていた。彼女の指先のタバコから立ちのぼる煙の向こうに、ぼんやりとその穏やかな表情が見えた。狭い空間で篠井と二人きりで向かい合い、こうして話すのは初めてのことだった。 「今ね、身体の調子がすごくいいの。筋肉がすごいのよ。今までで最高…」話は続いた。 もう還暦を迎えるというその肉体は、しなやかな姿勢だった。かつて多くの生徒を抱え、毎年夏に公演していた舞台は多い時で150人のダンサーが照明の中に躍動した。彼女が始めて主催した「黒豹たちのブルース」の舞台は三百人劇場だった。まだ若かった篠井は幕前に神社に参って「どうか成功しますように!」と願をかけておみくじをひいた。その時そこにあった「龍が舞い上がるがごとく…」の文字が目に飛び込んできたという。 かつて大久保のスタジオで汗を流したことがある。あの熱気、匂い、空気。汗が染み込み、傷み、補修の布テープが貼られた琥珀色の木の床。何人もの足が、身体が、あの空間を踏み、踊り、呼吸し、通り過ぎていった。ジャズダンスブームでどっと生徒が集まった時代も過ぎ、次第にスタジオから人が離れていった。八年前に尊敬し続けたジャズピアニストの夫を亡くし、大久保で続けてきたスタジオも手放し、毎年踊り続けた舞台である渋谷・ジャンジャンの閉鎖…。次から次へと篠井は追い詰められていった。 「私、今のままでいいのかしら…」 四年前、どん底にいた彼女の舞台がはけた後、小さな飲み屋のカウンターで、弱音を初めて耳にした。強烈なエネルギーを放っていた彼女の中で、何かが壊れ、喪失しかかっていた時期だった。 毎年の年賀状には「踊り続ける…」と力強くあった。そして去年の初秋、中野テルプシコールの舞台「紅の遺言状」。その照明と音と空間の中、篠井世津子が大きく変わった印象を私は受けた。 江戸川橋の新しいスタジオは広くはないが、ガラスの向こうに空が広がり、明るい陽射しが入口や窓辺の植物を照らしていた。音羽通りを車がひっきりなしに行き交う都会の喧騒の中、この場所の空気が落ち着いているのは、ここにいる人間が放つ空気、存在が落ち着いているからなのだろう。 床に置かれた走り書きのメモに彼女の言葉があった。神の鳥…この公演のキャッチコピーである。その舞台で使うという音楽はアイヌの女性の歌だった。彼女はその歌詞とサックスの音に惹かれたという。今までとは違う世界、変化があった。話をするうちに、彼女は笑いながら衣装を取り出し、やがて一人の観客の前で躍り出した。 「お酒を飲んでいる時の方が、いいことが口をつくんだけど、翌日目が覚めるとすっかり忘れているのよね」身体を動かし、酔いが回った彼女は快活に言う。「魂のアルコール消毒ですね」と笑う。 魂という言葉に彼女は敏感に反応し、「それがね、不思議なことがあったの!」と彼女の目が輝いた。 四年前、知人の霊感の強い夫婦が「吹き出している炎が濁っている」と彼女に言った。また「今までのしがらみ、垢を全て捨てないといけない」とも。 今までの全てから突き抜けてゼロに戻る。肉体と魂、外見と内面性、それは別々のようで一つの存在。肉体にしか魂は宿らないのだ。 「あの舞台を観ている間中、天井のところで龍がうねるように回っていた。舞台が終わった瞬間、龍は天に向かって飛び去っていった。そして天空から光がパーッと射した…」初めて知人が篠井を誉めた。それが「紅の遺言状」の舞台だった。 この舞台にインスピレーションを得て、私が後日開く予定だった個展の壁画に龍の絵を描いたのも偶然ではなかった。そして、その個展を訪れた篠井の提案で、今回の舞台の美術を引き受ける運びとなった。 若い頃から篠井は舞台をイメージする時、自分に何かが降りてくる感じを味わっていた。それを今、さらに強く意識している。まわりから降りてくる何か…。彼女自身は守護霊だと捉えている。一時座禅にも通ったこともあったが、今では自身の魂に従うということ、自分の周りにいる人や自然などのあらゆるものに感謝するということに至った。この日、彼女は何度となく「ありがとう」の言葉を繰り返した。 「踊れるだけで幸せ。生活していると皆いろんなしがらみがあるでしょ。今、朝早く起きてストレッチして、レッスンして、稽古して、こうしてスタジオでお酒飲んで、帰って夜暗くなると寝る。すごく幸せ。起きて、食べて、踊って、寝る。すごくシンプルな生活でしょ」 スタジオという空間が好きで、そこでひとりお酒を飲む幸せ。踊りは彼女の生きることそのものだ。 「私ね。これからはもう舞台は一人で踊ることに決めたの。だから誰かと一緒に踊るのは去年の舞台が最後。もしも観客が5人でも、たとえ1人であったとしても私は全力で、魂の限り踊り続ける」 彼女は舞台というその瞬間に生き、そして観客とその瞬間を共有する。 窓の外が暗くなリ近くの蕎麦屋に場所を変え、冷えた身体を熱燗で温めながら、家族、幼い頃の原風景にまで話は及んだ。今はもういない両親の元で自分は幸せに育ったと笑った時の彼女は、まるで幼い子どものようだった。寒空の下、神田川沿いの歩道を歩きながら、枝を伸ばした桜並木を見上げると、やがて来る春の予感に心が温かくなった。彼女と別れ駅に向かう道すがら、一つの言葉を思い出していた。 「今ね75歳になったら舞台で着る衣装を作ってるのよ」 さらに先の成熟した自分を想像し、舞踏家・篠井世津子は未来を見つめている。 (2007年3月9日、吉田了介記す) |
|||||||