FOCOプロデュース公演

近代能楽集

ゆや      よろぼし

「熊野」「弱法師」

作●三島由紀夫  演出●篠本賢一

1999年12月3日〔金〕〜5日(日)
於:新宿ビプランシアター


●はじめに

 あの忌まわしき事件から早いもので30年を迎えました。
 三島由紀夫と言えば、どうしてもこのことが記憶に蘇ります。
 しかし、最近三島文学が若い世代に読み直されはじめています。演劇の世界でも多くの若い世代のグループが三島の戯曲に挑戦しはじめています。
 言葉の氾濫が起こっている現代で、日本語の美しさが残されている未知なる三島作品への憧れがそうさせているかのようです。
 FOCOプロデュースでも1昨年12月に近代能楽集「熊野」「弱法師」に挑戦しました。結果は内容面でも集客面でも予想を上回る評判をいただきました。
 是非とも、私達が忘れかけている日本語の美しさや言葉のリズムのすばらしさが残されている、また、戦後の動乱を生き抜いて来た人々の逞しさや、悲哀をみごとに描いているこれらの作品を、多くの若い世代に観ていただきたい思いで一杯です。

 近代能楽集は、文字通り、能を題材に書かれた作品ですが、実際の能とはかなり違います。
 まず、能には、能舞台という定型の舞台があり、そこで演じられることが原則になっています。能舞台は、600年という長い年月の間に完成された非常に抽象性の高い構造的な舞台です。そこには橋掛りというものがあって、演技者はそこから摺り足で登場します。舞台上でつかうセットは最小限に抑えられ、なにもないことさえしばしばです。
 また、能には、能面というものがあります。能は仮面劇です。演技者は、シテ、ワキ、アイなどに分かれ、シテだけが能面をつけます。三島由紀夫は近代能楽集を書くにあたって、能の持つテーマを受け継ぎつつも、先にあげた能舞台の構造、仮面劇としての側面は、意図的に削除しました。そこにこそ「近代」と銘打ついわれがあったのでしょう。
 今回の演出はその能舞台の構造、仮面劇としての側面、それにシテ、ワキという役割の復活を試みました。それは、能から始まり、近代能楽集で現代に蘇ったテーマをさらに普遍化しようという考えからです。
 昨今「現代劇の古典」という不思議な言葉を耳にします。それは今世紀になって生まれた作品の見直しということなのでしょうが、そこには、新しいものばかりを見つめて疾走した20世紀という時代への反省が含まれているのかも知れません。
 新しさばかりを見つめて稀薄になっていくよりも、古き良きものを見詰め直して濃密になっていく、そんな生き方に「新たな」価値観があるような気がします。


●演出にあたって・・・・・・・篠本賢一

 三島由紀夫の「近代能楽集」、これを『仮面劇」として演出したい。言うまでもなく、能は『仮面劇』である。シテ方が面(おもて)をつけ、自分ではない別の何か(人物のみならず、神、亡霊、精霊)に変身する。だが、「近代能楽集」には、仮面の使用は指定されていない(「邯鄲には部分的にある)。というよりも仮面の使用を想定して書かれてはいない。だが、物質としての仮面の記述は見当らなくても、そこに描かれたドラマはまさに『仮面劇』的な世界である。では『仮面劇』の特徴とは何か。仮面と素顔、つまり虚構と真実、このこつの位相が、ドラマティックに転換すること、これが私の考える『仮面劇」の特徴であり、魅力である。例えば、能役者が鏡の間で面をつける儀式、または舞台がピークに達した瞬間、突然現実に引き戻される能独特の演出、そのようなところに『仮面劇』能の醍醐味がある。今回上演する「熊野」そして「弱法師」、これらは共に、シテにあたる役(ユヤ、俊徳)の仮面が剥がされて、隠されていた事実が明らかになったり、執着から解放され心が癒された時、つまり仮面から素顔に戻った瞬間が劇のピークになっている。だからこそ「近代健楽集」は能面を使わない『仮面劇』=『近代能楽』なのだ。しかし、「近代能楽集」では、仮面を外したからといって、仮面の中から現れるのは、本当の顔ではない。仮面を外しても、それが果たして真実なのか、よく分からないところがある。では真実の顔は、いったいどこにあるのか。いま現れている顔の裏側に本当の顔が隠されているのか、それとも、いくら仮面を剥いでいっても、真実の顔に至ることはできないのか。こういった事が、三島由紀夫の描いた近代的な『仮面劇』の問題点ではないかと思う。では、三島由紀夫はなぜこのような『仮面劇』を書いたのか。
 登場人物に注目してみると、「熊野」「弱法師」は他の作品に比べ三島の人生が色濃く投影されていることに気づかされる。「熊野」の「宗盛」は、三島由紀夫の後半生の姿、つまり作家としてのステイタスを確立し、自らの肉体をボディビルで鍛えあげ、時折すっとんきょうな大爆笑をする三島である。逆に「弱法師」の「俊徳」は、三島の前半生、当時の多くの若者がそうであったように、自らの人生を二十歳までと設定し、その二十年に「永遠」を封じ込めようとした青少年の姿であろう。するとそこに現れる二人の女「ユヤ」「桜間級子」とは、どういった存在なのか。注目すべき点は、「ユヤ」「級子」は共に「悲しみに面蒼ざめし・‥美女」「…美貌の和服の女」となっていて、共に「美」という文字を見付けることできる。
 では、三島の人生に影響を与えた「美」の象徴とは、何か。それはまぎれもなく「天皇」である。そして、その「天皇」を後半生の三島は、「ユヤ」として登場させ、嘘のあばかれた「偽りの美」として描き、若い三島には、人生二十年の呪縛から解き放ってくれる癒しの存在として「級子」を描いている。

●作品紹介

『熊野』・・・・・熊野の住む豪勢なアパートの一室。

大実業家・宗盛は、今日を外したら来年まで見ることができなくなる一目千本の花見に行こうと、妾の熊野を誘いにきたが、熊野は、北海道の母が大病を患い、今日か明日かの命なので見舞いに行きたいと願う。
宗盛は私立探偵社に調査させ、母親は元気でいることと、実は、千歳の自衛隊にいる恋人の薫に会いに行きたいが為の狂言であることを知る。

さて、宗盛と熊野は・・・・・・・・・・・

 

●宗盛‥‥‥‥‥‥針生りん太郎

●ユヤ‥‥‥‥‥‥田中幹子

●朝子‥‥‥‥‥‥菅野かおり

●山田‥‥‥‥‥‥藤田三三三

●マサ‥‥‥‥‥‥坂田純子

『弱法師』・・・・家庭裁判所の一室。

戦災で盲目となり、物乞いをしていた子供(俊徳)を引き取り、養子として15年間わがまま放題に育ててきた川島夫婦と、実の両親である高安夫婦が、親権を巡っての争いを家庭裁判所に持ち込んだ。
各々の夫婦は15年間の思いを語り、話し合いは平行線を辿る。
調停委員の級子は俊徳を迎えるが、『あなた方はみんな莫迦で間抜けだ!』と俊徳は言う。級子は俊徳と二人だけで話したいと、両夫婦を別室に下げる。

さて、・・・・・・・・・・・・
   『ぼくってね。・・・どうしてだか、誰からも愛されるんだよ』

 

●桜間級子‥‥‥‥山口美砂

●川島‥‥‥‥‥‥山本泰広

●川島夫人‥‥‥‥青木雪絵

●高安‥‥‥‥‥‥鈴木義男

●高安夫人‥‥‥‥今井里美

●俊徳‥‥‥‥‥‥金杉太郎


●ユニット紹介(ちょっと)


 FOCOプロデュースは、木冬社出身の田中幹子と、円 演劇研究所出身の山口美砂が旗揚げしたユニットです。
 演出は、能楽師の観世栄夫のもとで能を勉強し、その私塾(ヒデオゼミ)の中心メンバーでもあり、自らもプロデュース集団「遊戯空間」を主宰する篠本賢一です。
 

■田中幹子

1966年9月23日 京都市生まれ

1982年 東映京都俳優養成所入所
1986年        同所卒業
   同年 劇作家・清水邦夫主宰 劇団木冬社入団

●主な出演作品
    「戯曲推理小説」パルコ提携公演
    「楽屋」木冬社スタジオ公演
    「夢去りて、オルフェ」主演 平幹二朗 紀伊國屋書店提携公演
    「恋愛小説のように」主演 芦田伸介 紀伊國屋書店提携公演
    「弟よ一姉、乙女から坂本龍馬への伝言」 紀伊國屋書店提携公演
    「哄笑一智恵子、ゼームス坂病院にて」主演 松本典子 パルコ提携公演
    「冬の馬」主演 米倉斉加年 シアターX提携公演
    「愛のかたちを探る一幕劇集V シアターX提携公演
    「哄笑一智恵子、ゼームス坂病院にて」 東京芸術劇場 等々

                約10年在籍し退団。
 

■山口美砂

1961年6月24日 京都府生まれ

同志社大学卒業後、「円 演劇研究所」に4年間在籍し、卒業。
小劇場を中心に活動する他、商業演劇、ミュージカル、日本舞踊公演などにも出演。
声優『TARAKO』達とプロデュース集団『オフィスWAKU』を結成し公演を行っている。
東京アニメーター学院(声優科)、倉田プロモーション、K’sファクトリー
演技実習講師。

●主な出演作品
 U.P.CLUB 「ラン・フォー・ユア・ワイフ」「カリフォルニア・スイート」
 東京ギンガ堂 「クレイジー・フルーツ」「アチャランカ・ブギ」
 METALTRAP新選組シリーズ 「祭の準備」「大いなる眠り」
 木山事務所プロデュース 「夏の夜の夢」
 グループ・虎「 新宿のありふれた夜」
 WAKUプロデュース 「Help」「Please Please me」他
 

■篠本賢一(演出)

1988年、円演劇研究所11期卒後、「遊戯空間」を旗揚げする。
西多摩郡桧原村の廃校を拠点とした青童舎の活動にも参加。
児童劇「ちびっこ太郎」(松谷みよ子原作)の演出や「真『呼吸』林間講座」の企画運営に携わる。
1991年より観世栄夫のもとで能の勉強を始め、観世栄夫の私塾とも言うべき「ヒデオゼミ」の中心メンバーとして活躍し、伝統芸能と現代劇の関係を探る。
1997年より萩谷京子現代舞踊研究所にて講師となる。
●主な出演作品
「マクベス」 観世栄夫演出  マルカム役        星陵会館他
「ファイティング・チェーホフ」劇団レクラム舎公演 渋谷ジァンジァン
「12人の怒れる男たち」    劇団阿修羅        北海道公演
「海から来る馬〜つれてって〜」 宋英徳作・演出   彗星軌道公演
「刺草小町壮哀期」 アラバール作 観世栄夫演出   アートキャンプ白州95
「慈しみの女神たち」 アイスキュロス作 小林志郎演出  主役
                        さいたま芸術劇場
「子午線の祭り」 木下順二作 観世栄夫演出    新国立劇場

●公演アンケートより

◆言葉がとてもきれいな流れのようで美しさ(言葉の)を感じました。目をつぶっていても十分情景が伝わってくるようです。日本語の美しい表現を改めて感じさせられました。戦争の悲惨さも忘れてはならないことですね。
横浜市 主婦

◆外へ向かう空間、内へ集結する空間のなかで、巧みなセリフ回しが空中で衝突し合うような感覚を感じた。文学的表現のきいたセリフと出演者の方の技術が素晴らしかった。能の美学的世界を表現し得た劇を初めて観た。
市川市 男性(20歳)学生

◆人の心の有り様をシンプルな舞台の上で最小限の言葉の中に表していて、時代を感じさせない演出が興味深かった。
葛飾区 女性(36歳)OL

◆短い上演時間に人間模様が巧みに演出されていたのに驚かされました。無駄のない台詞に実に多くの人間心理がうかがえ、自分の中に疲れとおもしろみが共存しています。素敵な舞台をありがとうございます。
川崎市 女性(53歳)

◆三島の作品はお恥ずかしながら読んだことはありませんが、今回のものを見せていただき、三島が考える人間の奥のもの「裏・表」「皮肉」etc…を少し感じられたような気がし、作品を読むいいきっかけになりました。
署名なし

◆非常に感動致しました。私は三島作品、特に近代能楽集が好きなので他の作品も上演してください。弱法師がなかでも好きなのですが、役者さんの演技も素晴らしく、セットもよく出来ていてよかったです。様式美とか格式を重んじているのが感じられました。
国分寺市 男性(29歳)フリーター

◆舞台の構造と簡素な様式、空間の使い方がとても興味深かったです。様式美をうまく活用されているという感じでした。この抽象性が三島戯曲の文体をこなされている一要因のように感じました。特に熊野はキャスティングに味があって完成度が高いように思いました。
山梨県 三島由紀夫文学館 平敷尚子様