グランド・ツアー「世界文学は面白い。」

 さて、皆さんにはこれから、地球一周の旅に出ていただくわけである。乗り物が飛行機ならアテンション・プリーズと呼びかけるところだろうし、豪華客船なら触発にボトルを打ちつけるタイミングなのだが、我々の場合、『小説』 に乗るのである。出発をどう示していいものか、まずそこから不明だ。ひとまず、ボン・ヴォヤージュ! とだけ言っておこう。
 ドイツ、ロシア、フランス、アメリカ、中南米、日本、中国と、行き先はさまざまである。
 もちろん年代もまた色々だから、読者諸氏にはどんな旅行代理店でも組み得ないグランド・ツアーを体験していただくことになる。
 添乗員はたった二人。奥泉光さんと私いとうだが、旅の途中でかなり寄り道をする。というか、ほとんどが寄り道である。また、今まで皆さんが体験したことのない『小説』の乗り心地になることも必至だ。ただ、もうキャンセルは出来ないので、諦めてついて来てもらう以外ない。
 とはいえ、添乗員的には十二分に自信がある。両者ともに多くの『小説』に乗って族をしてきており、その折々にどうも違うなとか、こうならいいのにと思って生きてきたのである。したがって、このグランド・ツアーはまさに満を持してのプロジェクトということになる。
 好みの問題で、旅は笑いに満ちている。微笑か吠笑か微苦笑かは問わない。ともかく、どんな深刻な文学をも、我々は笑いと共に通り抜ける。ツアーの名前がそれ自体、「世界文学は面白い。」なのであるから、まずは楽しく体験していただこうという寸法である。もし悲しく苦しく読みたいなら、一人放で再訪してもらえばいいのだ。
 添乗員はこうして、多種多様なシーンの前に立つ。立ってこまごまと解説する。この主人公はなぜこんなことを言い出すのか、作家はなぜこんな口調を使うのか、我々読者はなぜここで現場を離れがたく感じるのか。
 奥泉さんと私はつまり、弁士のようなものでもある。『小説』が直接語っていない事柄を、我々は二人で憶測し、論議し、断定し、何よりもお客さんの興味を引くべくハイスピードで言葉を生み出していく。
 ということは、先ほど触れた”一人旅”で、今度は読者諸氏がいつの日か、新しい弁士となって自分だけの解釈を語ってもよいのである。次の誰かに向けてアルバムを見せ、あなたの思い出を語るのはあなた自身なのであり、そもそも『小説』とはそういう乗り物だし、旅の形態なのに違いない。
世界文学を難しく考えてしまうと、”国内旅行”だけで人生が終わる。それどころか、旅行自体に出ない人がいるかもしれない。もったいないことだと我々文学添乗員は思う。
だまされたと思って、最後までおつきあい願おう。すでに下北沢タウンホールで数年、我々はこのしゃべりを披露し続けており、そこではなかなかにウケてきたのである。通称・文芸漫談という。足を運んで下さった実験台の観客の皆さん、スタッフの皆さんにこの場を借りて感謝を述べつつ、さて本ツァーの始まりを宣言いたします。
 では、ページをおめくり下さい!
『世界文学はおもしろい。』(集英社)いとうせいこう氏まえがきより

文芸漫談は小説的なパフォーマンス

 前作の 『文芸漫談』 は、さまざまな機会にさまざまな場所で行われたパフォーマンスを本にしたものだったが、今回は、(北沢タウンホール)をホームにしての定期的パフォーマンス、「文芸漫談シーズン2」の採録である。
本シリーズのコンセプトは 「翻訳小説の名作を薄い文庫で読む!」。
 エリック・ドルフィーのファイブスポットのライブが鳴り出し、舞台照明が賑やかにちかちかすると、別々の袖から、いとう、奥泉が登場して文芸漫談ははじまる。まずは落語の 「まくら」 ふうに雑談があって、それから本題にはいって、最後に奥泉のフルートと、いとうの朗読で締めて、全体で九十分というのがだいたいのパターンである。
 本番前にちょこっと段取りを話すことはあるけれど、打ち合わせは原則なし。もちろん台本もない。テクストだけは事前に決めておくから、とりあえず曲を決めて、あとはアドリブで進めていくジャズのライブに似ているけれど、やや違うのは、演者が客席の反応を窺いつつ話を進める点だろう。ジャズライブは客ウケはあまり考えないが、われわれ文芸漫談師(?)は非常に気にする。
 だからこれは、いとう、奥泉、小説テクスト、客席という、四者の関係から成り立つパフォーマンスであり、その時点ですでに単線的ではありえないのだけれど、対話のなかでも繰り返し強調されているように、小説なるものが、読者を単一の物語に縛り付けるのではなく、読む者の思考やイメージを撹乱しつつ、読みを多方向へと導くものである、というのがわれわれ文芸漫                               談師の立場である以上、ホールにはいよいよ逸脱へと人を誘う「力」が張ることになる。この意味で、文芸漫談は小説的なパフォーマンスといってよく、つまりこれは小説を小説的に読む試みなのだ。
 もちろん本書は、テープ起こしをしたうえで編集された、つまりは書かれたテクストである。「まくら」 をはじめ、本筋とは関係ない話で削除された部分は多い。活字にする以上、それは仕方がない。というより当然なのだけれど、「本筋だけに意味があるわけではない」 というのが小説的な精神なのであって、そういう意味からして、本書を読んで少しでも面白いと思った方には是非ともライブ会場に足を運んでいただきたいと思います。
一方で、右に述べた逸脱の 「力」 は痕跡しか残っていないにしても、取り上げた作品の面白さは、活字を通じて十分伝えられたのではないかと思う。
「あらすじで読む名作」 といった類の本が近頃あるけれど、本書はそれらとは百八十度異なる。あらすじ本を読んだ人が、「なるほどそういう話だったんだ」と納得して終わるのに対して、本書を読んだ人は、各作品を自分できっと精読したくなるはずだからだ。
 小説を面白く読むにはていねいに読まなければならない。これは今回のシリーズを通じて私(奥泉)が、あらためて確認した真理でもある。自由に解放された心身の状態でスルドク集中する。これはどんなことにも通じる創造の基本だろう。もちろん小説を読むことは、ひとつの「世界」の創造に他ならない。
 本書の成立には多くの方々の力をお借りした。毎回のステージを支えてくれた菊地廣氏をはじめとするK・企画および北沢タウンホールのスタッフのみなさん、活字化にあたっては、構成に従事してくれた江南亜美子女史と『すばる』編集部の水野好太郎氏、単行本化に際しては佐藤一郎氏に多くを負っている。そして渡部直己氏からは毎回、おもに打ち上げの席で、温かい励ましと批評をいただいた。本書はこれらの人々の合作といってもよいだろう。
 では、ライブ会場でまたお会いしましょう!
『世界文学はおもしろい。』(集英社)奥泉光氏あとがきより

『文学を笑え!!』

 強調しておくが、我々コンビは笑いと同様、文学に対しても真摯であり続けた。なにしろ『文芸漫談』というくらいだ。文学をおろそかにしては成り立たない芸である。
 普通、文学入門書は、“グングン文学がわかる”のが取り柄だが、我々はグングンだけではどうも満足出来ない。理解の速度も重要ではありながら、納得の瞬間ごとにクスクスと笑いが生じないことには、文学の根幹が貧しくなってしまうのではないかと我々コンビは心配しているのである。
 豊かな文学、とよく人は言う。けれども、何がどう豊かであるべきかを示す者はまれである。少なくとも我々は、文学を語ることが同時に笑いを呼ぶという事態を希求した。
それこそが豊かさのあり得べき具体例だろうと考えたからに違いない。
『文芸漫談笑うブンガク入門』(集英社)いとうせいこう氏まえがきより

 ここ数年、書店を訪れると、「小説の書き方」といった類の本がやたらと眼につくのは、小説を読みたい人より、小説を書きたい人の方が多いという、時代の趨勢のなせる業なのであろう。
 実際に観客を前に話をしているときには、「入門書」 を作ろうとの狙いが殊更にあったわけではなく、とりあえず「小説」ないし「文学」を題材に、いとうさんと二人、お客さんの反応を窺いつつ、あれこれ話すのが馬鹿に面白いので、機会を捉えてはどんどんと喋っただけの話である。
 どちらにしても、面白いのは、やはりライブである。少なくとも喋っている人たちにとってはそうである。そして、演じる者が楽しめないのでは、観客だって楽しくないという、ジャズのセッションと同じ原則の下で「漫談」は行われた。
だから、本書を読んで少しでも面白いと思って下さった方は、是非ともライブにいらして欲しいと思います。
『文芸漫談笑うブンガク入門』(集英社)奥泉光氏あとがきより